記憶の行進
青森で生まれ9歳まで住んでいた。当時のわたしは周りの楽しい空気を体いっぱい吸い込んで遊んでいた。あの時代がなければ世界の美を経験できなかったように思う。青森後、いくつもの場所を転々としたが、世界は、美を謳歌して遊ぶところではなく、さまざまなことに注意して生きていかなければいけない現実となった。環境が変わり、年をとったのだ。
我が家は4人家族で、典型的な核家族だった。両親とも静岡県出身だが、独立し、結婚し、転勤で出身地から遠く離れた青森に移り住み、わたしが次女として生まれた。若い夫婦と幼い娘二人は、縁もゆかりもない北国で、実家の干渉もなく、のびのびと暮らすことができたのだと思う。
こうして青森時代はわたしにとって自由と創造の基礎になった。
大人になって写真家になり、青森を撮影しようと再訪した。離れてから30年以上も経っていたので、故郷がどのようになっているのか、期待と恐れを抱えながら向かったが、桜が満開の弘前ということも手伝って、その独特な柔らかさを纏った光と色彩は、私の記憶を裏切ることなく目の前に現れた。
うちには、写真館で撮った家族写真が一枚もない。その代わり、父が撮影したスナップ写真が何枚もアルバムに残っていて、子供の頃からよく眺めていた。青森で写真を撮っていると、あの頃見ていた父の写真が何度も記憶に蘇る。
大盤カメラを使いながらも、人が何かをしている光景をスナップショットのように撮るのは、父の、カメラ目線ではない家族のアクション・ショットに影響を受けているからかもしれない。
2019年に父が他界し、改めて父の写真をみてみると、影響というより模倣がみて取れる。そして、父の写真を複写した。
模倣と反復は、家族現象の一つであり、また写真そのものでもある。わたしの青森の記憶はその土地に訪れるたびに更新され、厳しい現実や、予測されうる未来への不安などが混ざりあう。写真は、複雑な感情を伴った記憶と同じにはなり得ないが、模倣と反復により大切なものへの想起のきっかけとなることを願う。
兼子裕代 2024年