記憶の行進

 わたしは青森市生まれ、4歳で弘前市に引越し9歳まで過ごした。そこは透明な光に映し出された自然がきらきらしていて外遊びがとても楽しかった。

 わたしたちは4人家族で、典型的な核家族だった。両親とも静岡県出身だが、独立し、結婚し、転勤でふるさとから遠く離れた青森に移り住み、わたしが次女として生まれた。夫婦と子供ふたり、縁もゆかりもない北国で、実家の干渉もなく、のびのびと暮らすことができたのだと思う。

 その後、いくつもの場所を転々としたが、世界は、美を謳歌して遊ぶところではなく、さまざまなことに注意して生きていかなければいけない現実となった。環境が変わり、年をとったのだ。青森は自由の表象としてわたしの記憶に残った。

 大人になって写真家になり、青森を撮影しようと2007年に再訪した。離れてから30年以上も経っていたので、故郷がどのようになっているのか、期待と恐れを抱えながら向かったが、満開の桜が手伝って、その独特な柔らかさを纏った光と色彩は、記憶を裏切ることなく目の前に現れた。

 実家には、写真館で撮った家族写真が一枚もない。その代わり、父が撮影したスナップ写真が何枚もアルバムに残っていて、子供の頃からよく眺めていた。青森で写真を撮っていると、あの頃見ていた父の写真が記憶に蘇る。

 大盤カメラを使いながらも、人が何かをしている光景をスナップショットのように撮りたくなってしまうのは、父の、カメラ目線ではない家族のアクション・ショットに影響を受けているからかもしれない。しかし2019年に父が他界し、改めてそれらの写真をみてみると、影響というより模倣がみて取れる。そして、父の写真を複写した。

 模倣と反復は、家族現象の一つであり、また写真そのものでもある。青森の記憶はその土地に訪れるたびに更新され、新たな出会いとともに、厳しい現実や、未来への不安が混ざりあう。中でも、辺境であるが故に押し付けられる原子力施設の存在は、自然が放つ包容力とは逆の虚無感を醸し出す。写真は、複雑な感情を伴った記憶と同じにはなり得ないが、模倣と反復により大切なものへの想起や希求のきっかけとなることを願う。

兼子裕代 2025年

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